森中 定治 (日本生物地理学会会長)
山田 昌弘 (東京学芸大学教育学部)
矢原 徹一 (九州大学大学院理学研究院生物科学部門)
昭和3年(1928年),日本生物地理学会は鳥類学者の蜂須賀正氏と当時生物地理学の第一人者であった渡瀬庄三郎によって, 生物地理学を主な研究対象とした学会として,フランスに次いで世界で2番目に設立された.
蜂須賀正氏は,平成15年(2003年)に開催された生誕百年の記念シンポジウムにおいて ”型破りの人” であったとの評がなされたが,自己の信念と哲学に基づいて時代を駆け抜けた人であった. 渡瀬庄三郎は,区系生物地理学における旧北区と東洋区の境界を示す”渡瀬線”によって著名である. 特定外来生物として昨今問題になっているジャワマングースを移入したが, 当時困っていた野鼠やハブの被害を防ぐために生物学の知識を社会に役立てようと 積極的に活動した強いパワーをもった人であったことは否めない.
日本生物地理学会のもつこのような歴史を考えたとき,学問としての枠にとどまることなく, 生物学を社会に役立てることができればと思う.生物学に関するフォーマルなシンポジウムの他に, このミニシンポジウムをもつのはこのような理由による.
昨年は,ドーキンスの「利己的な遺伝子」を題材として人間はどこから来てどこへ行くのか, どこへ行こうとするべきか,であればその道はあるのか, 希望をもてばその道を切り開けるのか私見を述べさせて頂いた.今年も,つまりはそこへ落ち着く.
一昨年,昨年の講演者に共通した主題のひとつが,人が環境を変え,その変えた環境が人を変えるということであった. 湖に取り戻したいものは何? と問われると,10〜20代の若者も50歳以上の中年やお年寄りも総てを含めて ”きれいな水”という答えが返ってくる.総ての世代に共通して第一の願いは同じである.しかし, かつて湖には魚や蟹やトンボやさまざまの動物が生息し,周辺にはいろいろな植物が自生していた. 取り戻したいものとして,年配者はそれらも思い浮かべるが,若者は既にそれらを思い浮かべることができない. むろん総ての若者ではなく,その傾向が見られるという講演であった.
生れ出たときよりコンクリートと鉄柵で囲まれた川を見て育ち,バーチャルなゲームを最も身近な友として幼年期, 少年期を過ごす現代以降の若者に,湖にはこんな虫がいた,こんな草や木が生えていたといっても実感があろうはずはなく, むろんそれらを欲することもない.生物は減少しつつもいることはいるが意識されなくなり, おそらく無意識下にも影響を及ぼさなくなるであろう.つまりは生き物のいない, ただどこまでも澄んだ水だけがある湖が欲しいものとして合意されることになる.
人類は,利益を見出しそれを自分個人が獲得することを背景として,川や湖を加工し, さまざまな機器を造りだして利便性を図ってきた.すなわち, 変わりゆく社会のダイナミズムの背後に経済のダイナミズムが存在し, それが社会の変化に意識下にも無意識下にも強い影響を及ぼしている.
かつて人類と共にあったさまざまな生物は不要なのだろうか. それらの生物は経済のダイナミズムに取り込まれ消滅してゆく運命なのだろうか.
我々は,どういう社会を今後の世代に贈るのか贈りたいのか, 人の心に潜在するその答えを見出すためにはまず実社会の現状と人間について深く理解する必要がある. 今回は,実社会の変化と人の心理を対象とした社会学の視点から, また環境科学や生物学を対象として実社会にける合意形成の視点から,おふたりの演者をお招きした. リラックスして存分に縦横にお話し頂きたいし,我々もまたリラックスしてお話を拝聴したい.